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2009年05月19日

片倉景綱2

今回は景綱が、一体どのような人物だったのかを紹介します。

伊達家中では、「武の伊達成実」と並び、「智の片倉景綱」と呼ばれていたそうです。ある説によれば、剣術にも長けており、幼少時の政宗の剣術指南も務めていたと言われるほど、智勇を兼ね揃えていた武将であったとされています。
また、大変な笛の名手であったとも言われています。
まさに文武両道といったところでしょうか。
景綱はとても頭が良かったことでも有名です。


また、こんな話も残っています。
彼の妻が、彼の子である重長を懐妊したときには、その当時主君である政宗に未だ子がいなかったのをはばかり、実子を殺そうとしたことがあったそうです。
この話から、彼がいかに主君の政宗を中心にして物事を考えていたかが分かりますよね。
今の世の中では絶対に考えられない主従関係と言えると思います。

景綱の知才は、時の天下人である、あの豊臣秀吉にも高く評価されたと言われています。
奥州仕置の際に、秀吉は景綱を直臣に迎えようと5万石の大名に取り立てようとしましたが、このときに、景綱は自身の主である政宗への忠義を選んで、この取り立てを辞退しています。
景綱は政宗に対してかなりの忠誠心があったようですね。
政宗もこのような素晴らしい重臣に恵まれ、幸せだったのではないでしょうか?


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