2009年05月23日
伊達政宗3
今回も引き続き、政宗の生涯について紹介します。
今回からは家督相続から摺上原(すりあげはら)の戦いまでの彼を紹介したいと思います。
1577年に元服し、1579年には仙道の戦国大名で三春城(みはるじょう・福島県)主である、田村清顕(たむらきよあき)の娘、愛姫(めごひめ)を正室としました。
1581年、隣接していた戦国大名・相馬氏への侵攻に15歳で初陣して、見事勝利を収めたといいます。
1584年に18歳で家督を相続し、伊達家17代を継承することになります。
このとき、父である輝宗は41歳の働き盛りでもあり、政宗は当初、年少を理由に辞退を申し出たといいます。
しかし、政宗の武将としての素質を見抜いていた輝宗の決意はとても固く、政宗はそのまま家督を相続することになったのです。
父である輝宗が亡くなった後は(このあたりについては次回、詳しく紹介します)畠山氏の二本松城を包囲し、畠山氏を救出するために集結した、佐竹氏・蘆名氏(あしなし)など3万の反伊達連合軍と安達郡人取橋(ひととりばし)で死闘を演じました。
数の上では五分の一以下の戦力しか無かった伊達軍は、重臣・鬼庭良直(おににわよしなお)を討たれ、窮地に立たされるものの、その辛さを持ち堪え、反伊達連合軍の撤退により政宗は勝利を収められたそうです。
これが、人取橋の戦いと呼ばれるものです。
今回はここまでにします。
また次回に続きます。
- by ayakaf
- at 02:55