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2009年05月31日

伊達政宗5

それでは今回は、人取橋の戦い以降の政宗の生涯について紹介します。

人取橋の戦いが終わった後、政宗は更なる侵攻を行って1588年には、郡山合戦にて相手の領土を奪うことに成功します。
正妻である愛姫の実家の田村氏の協力を得て、現在の福島県中通り中部にあたる地域まで己の支配下に置けることになったのです。

関白だった豊臣秀吉は、関東・東北の諸大名、特に関東の北条氏と東北の伊達氏に対し、私戦禁止令を発令したのです。
しかし、政宗はこの発令を無視して戦争を続行したそうです。

これと同じ年に、政宗は北方の大崎氏家中の内紛に介入しました。
その際、兵1万を以て攻め入ったものの大崎氏の頑強な抵抗、そして味方であった黒川月舟斎の裏切りと大雪により敗北しました。
この期に乗じて伊達領南部に蘆名氏、二階堂氏らが侵攻してきました。
また伯父の最上義光とも一触即発の事態に陥るが、義姫の仲介によって和議が成立し窮地を脱することが出来たそうです。
これを大崎合戦と呼んでいます。

関白だった豊臣の命令を無視するとは、政宗はなんともすごい度胸を持っていたようですね…!
次回は、摺上原の戦いについて紹介したいと思います。

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