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2009年05月31日

伊達政宗6

今回は、前回言っていた通り、摺上原の戦いについて書きたいと思います。

大崎合戦のあと、政宗は1589年には東北地方の覇権を賭けて会津の蘆名義広(あしな よしひろ)・佐竹氏の連合軍と戦います。
これこそが、摺上原の戦いと呼ばれるものです。
(ちなみに場所は、福島県の盤梯山麓・猪苗代町付近だったそうです。)
蘆名氏はすでに関白であった秀吉の傘下に入っており、大名となっていました。
ここで政宗が蘆名氏と戦うことは、つまり秀吉へ挑戦することを意味していたのです。
蘆名義広は1万5千の兵を率い、対する政宗は2万1千の兵を率いて盤梯山の中腹に陣を敷いたそうです。
この戦いで、伊達軍は騎馬武者を300騎、2千余りの兵を討ち取ったと言われています。
そして、黒川城を陥落させて、蘆名氏を滅ぼし会津地方を支配することに成功したのです。
政宗の勢いは衰えること無く、さらに兵を須賀川へと進めて二階堂氏を滅ぼしました。
この戦いと前後して、戦国大名の白河義親(しらかわ よしちか)、石川昭光(いしかわ あきみつ)、岩城常隆(いわき つねたか)が次々に政宗に服属していったのです。

このとき政宗は、現在の福島県中通り地方と会津地方、および山形県の南部、宮城県の南部を領地とし、全国的にも屈指の領国規模を誇る存在になっていました。

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