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2009年05月31日

伊達政宗8

今回も前回に引き続き、政宗の逸話を紹介していきます。

政宗の側室の中には、外国人の側室もいたそうです。
この側室は、政宗が出兵に従軍したときに捕虜として連れ帰った朝鮮人の女性だそうです。

衆道関係においては、小姓の只野作十郎(只野伊賀勝吉)へ宛てた書状が残されています。
(※衆道(しゅどう)とは、「若衆道(わかしゅどう)」の略であり、日本においての、男性による同性愛・少年愛の名称・形態のことです。)
ちなみに、作十郎と政宗の側室である勝女姫は実の姉弟(いずれも多田吉広の子)です。
同じく衆道の関係にあった片倉景綱の息子である重綱に対しても、大阪の陣に出陣する前の晩、翌日の先陣を願った重綱に対して「そのほうに御先鋒仰せ付けられず候て、誰に仰せ付けられるべきや」と言ってから、重綱の頬に接吻をしたそうです。
この記述は、『片倉代々記』に残っています。

政宗は朝鮮出兵に同行していないとする説がありますが、俗説であり事実ではありません。
政宗らが渡鮮したことを実証するものとして、隠居所であった若林城(現在の宮城刑務所)と政宗が再建した瑞巌寺に、朝鮮から持ち帰らせたとされる「臥竜梅」が残っているそうです。

今回はこのへんで。
まだ政宗には逸話があるので、次回に続きます。

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