2009年05月31日
伊達政宗9
今回は前回から引き続いて、政宗の逸話について紹介していきます。
政宗は、正室である愛姫との間にもうけた嫡出の次男、忠宗を政宗自らの後継者とし、側室であった飯坂氏との間に生まれた長男、秀宗はあくまでも庶子とみなしたそうです。
また、豊臣家との関係もあったために本家を継がせなかった秀宗は、幕府より新規に国主格大名として宇和島10万石の所領、宇和島藩(現在の愛媛県宇和島市)を与えられました。
(※側室の飯坂氏の通称である、猫御前という名は後世の創作ですが、山岡荘八の小説及び大河ドラマによって有名になったのです。)
摺上原の戦いの後、政宗が黒川城に入城する時、戦勝を祝って一族であった伊達重宗が即興で「昔もせで 芽野(かやの)の夜の時雨来て 袖にさんさとぬれからぬらん」と歌ったそうです。
これが、後に結婚式などおめでたい席で歌われることがある、東北民謡の「さんさ時雨」の元歌になったと言われていますが、俗説であり事実ではないだろうと言われています。
今も、福島県北部と宮城県では、結婚披露宴等の祝いの席では「さんさ時雨」が歌われています。
しかし、その一方で同じ福島県でも会津地方で「さんさ時雨」を歌うとひんしゅくを買うことがあるそうです。
政宗は家康に従い、後の天下取りの機会をうかがうことを優先しており、旧領であった上杉領に侵攻し100万石のお墨付き分の領地を自らの手で獲得することを狙っていました。
しかし、関ヶ原の戦いのが予想以上に短期間で終結してしまったため、この試みは達成することはありませんでした。
政宗は今まで紹介してきた武将たちよりも逸話が多いようですね。
また次回に続きます。
- by ayakaf
- at 16:10