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2009年05月19日

片倉景綱(片倉小十郎景綱)

今回は片倉景綱について紹介していきます。
紹介していく中で、前回の記事と同じような内容が出てくる場合がありますが敢えて省略せずに書いていきますね。

片倉景綱は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将です。
伊達氏の家臣であったことは有名であり、伊達政宗の軍師役を長年務めた人物です。
(※軍師(ぐんし)とは、軍中において軍を指揮する君主や将軍の、主に戦略指揮を助ける職務のことです。)
景綱は、仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称である「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになったそうです。

景綱は、米沢(今の山形県)の成島八幡神社の神職であった、片倉景長の次男です。
彼ははじめ、政宗の父である、輝宗の徒小姓として仕えました。
その後、1575年に政宗の近侍となり、前述したように軍師として重用されるようになりました。

彼が参戦した主な戦は次の通りです。
1585年、人取橋の戦い
1589年、摺上原の戦い
1590年、小田原参戦
1593年、朝鮮出兵
1600年、関ヶ原の戦い など…

ここからも分かるように、主である政宗の主要な戦の大半に参加しており、いずれも伊達氏の危機を救っています。
また景綱は、安達郡二本松城(福島県)在番、信夫郡大森城主(福島県)、亘理城(宮城県)なども歴任していました。

次回は景綱本人の人物像に迫りたいと思います。


パネライベルト